間違い直し 2024.01.23

間違い直し
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「子どもたちの間違いから学びたい」第2弾です。


子どもたちに正しいことを教えてやるだけなら簡単だ、とyamaは思います。でも、正しい考え方を身につけさせるのはけして簡単ではありません。それ以前に、自分で考える習慣、考えるために必要な能力や特性、などを育てておいてやらなければならないからです。

 

自分で考える習慣が大切

計算は得意なのに文章問題や考えて解く問題が苦手、と言う子どもたちが、近頃はとても増えています。極端な言い方をすれば、こんな子どもたちは、計算はできるけど、自分で文章を読み取ったり、自分で考えたりすることが苦手なのです。自分で読み取ったり、自分で考えたりすることは、勧めることはできても教えることはできません。子どもたちが自分で読んだり考えたりする気になってくれなければ、いくら教えても無駄です。あれこれ知識やテクニックを教えるよりも、3年生頃までは、高学年以降の問題に備えて、自分で考える習慣、考えるために必要な能力や特性をじっくり育ててやった方が良い、とyamaは考えています。

よくある間違い

次の画像を見てください。1年生の「10より大きい数」の問題です。


実は、この問題は、1から100まで数えることができる子どもにとっては簡単なのですが、数えられない子どもにとっては非常に難しい問題です。同じクラスの中に、100まですらすらと数えられる子どもも居れば、1から20までさえスラスラとは数えられない子どもも居ます。85を「はちじゅうご」と読むことができない子どもも何人かいるのが現実です。本来ならば、この単元に入る前に100まで数える練習を充分にしておけばよいのでしょうが、ゆとり教育以降、授業時間が削減されたためか、学校ではそんな練習をほとんどしてくれません。( →  新一年生にむけて
子どもたちにとっては、言葉で理屈を説明するよりも、すらすらと1~100まで数える練習をさせてやった方が理解しやすいのです。
1~100までのあいだには、なんども「ご」が出てきます。
」、「じゅう」、「にじゅう」、、、、「じゅういち」、「じゅうに」、「じゅうさん」、、、
何度も数えているうちに、「ご」の出てきかたにあるパターンがあることに気づきます。「ご」だけでなく、「に」や「はち」などにも同じようなパターン(このパターンが「十のくらい」や「一のくらい」の意味や性質なのですが、、、)があることにも気づきます。(この様な「気づき」をたくさん経験した子どもには自分で考える習慣や興味や好奇心、応用力などが育ちやすいのです。)自分で気づいたパターン(「十のくらい」や「一のくらい」の意味や性質)は忘れることもありません。それどころか、「百のくらい」や「千のくらい」が出てきたときも柔軟に対応できます。
一方、このパターンを自分では気づかずに教えられた子どもでは少し事情が違います。実感が伴っていないので、うまく納得することができないからです。100まで数えられるようになっていればまだいいのですが、そうでない場合には逆効果になってしまう恐れすらあります。85を満足に読めないような子どもたちにとっては逆効果しかないかもしれません。理解できる範囲を超えているので諦めてしまって、自分で考えるのをやめてしまうこともあり得るからです。

 

論理的思考能力

子どもたちが論理的思考を身につける様になるのは、6歳頃からだと言われています。論理的思考とは、原因と結果を積み重ね、客観的に筋道を立てて考えることです。これができる様になって初めて、今起きていることの原因を見つけたり、次に起こることの予想を立てたりすることができる様になります。学習にとっても非常に重要な能力です。6歳頃に芽生え始めた論理的思考能力は、10歳頃までに急激な成長を見せます。論理的思考能力を育てるには、将棋や碁、オセロなどの対戦型のゲームが非常に有効だと言われてきました。しかし最近では、そのようなゲームに限らず何か好きなものごとに熱中することが大切だと考えられています。自分が好きなものごとだからこそ、もっとうまくするにはどうしたらいいか、と工夫します。なぜうまくいかなかったのか、と分析します。このように自発的に考えることで、論理的思考能力は高められていくと考えられるのです。

これを学習面に置き換えて考えてみましょう。
もともと、ほとんどの子どもは問題を解くことが大好きです。幼児期になぞなぞ遊びを楽しむ子どもたちが多いのも、その証拠です。(なぞなぞ遊び自体も、子どもたちの論理的思考能力を鍛えてくれます。幼い頃には積極的に取り組ませてやりたいものです。)小学校に上がったばかりの頃には、先生の質問に対して、ほとんどの子どもが競って手を挙げます。例え、答えが間違っていてもほとんど気にはしません。ところが、2年生頃から、積極的に手を挙げる子どもがだんだんと減ってきてしまいます。周りの空気を読むなどの他の理由もありますが、この頃から、論理的思考能力が充分に成長しなかったために学習が苦手になる子どもたちが出始めるからだろう、とyamaは考えています。
もともと問題を解くことが好きだったのなら、多くの問題を解かせておけば、自然に論理的思考能力は伸びていくように思いますが現実はそうではありません。なぜなら、子どもたちは問題を自発的に考える機会をどんどん奪われていってしまうからです。どんな問題でもすらすらと正確に解ける子どもでもない限り、多くの子どもたちは間違うたびに正解を「教え」られます。実はこの「教える」という行為に子どもたちの論理的思考能力を奪ってしまう危険性が含まれているのです。

「教える」について考える

「教える」とはどんな意味でしょうか。具体的には何を「教え」ればいいのでしょうか。とくに幼い子どもたちの学習を支援する時には、何を一番に「教え」てやるべきなのでしょうか
一度、考えてみて頂きたいと思います。

yamaは、とくにこの頃の子どもたちに重要なのは、「自分で考えること」を教えてやることだと考えています。例え、考え方に不備があったり間違いがあったりしても、とりあえず自分で考えて答えにたどり着くことが最も重要だと思います。ここで、早く正解にたどり着かせることに目を奪われて、子どもたちの考え方を無視して、「正しい考え方」だけを教えることは危険だと感じています。なぜなら、それは子どもに正しい考えを詰め込んだり押しつけたりしてしまうことだからです。子どもたちの考えを無視して正しい考え方を強制してしまっているからです。そんなやり方で、子どもたちの論理的思考能力が充分に成長するとは思えません。むしろ、子どもたちの論理的思考能力を削りとってしまう恐れもあります。教えることが押しつけになってしまうこともあるのです。
論理的思考をやっと身につけ始めた低学年の子どもたちにとって、複雑な思考を理解させたりややこしい手順を覚えさせることは、とても負担が大きいものです。初めのうちは、子どもたちも我慢して理解したり覚えたりしようとするでしょうが、繰り返しているうちに子どもたちの限界を超えてしまいます。限界を超えてしまった子どもたちは、考えることを放棄してしまいます。いわゆる「思考停止」の状態です。虐待などの心理的負担を受けた子どもたちが示す反応の一つです。こんな状態を繰り返すうちに、子どもたちは勉強嫌いになってしまうだけでなく、論理的思考能力すら失ってしまいかねません。45分ほどの授業のあいだに、じっと座っていられなくて、立ち歩きを始めてしまう子どもたちがいます。その原因は、ADHDなどの発達障碍だけでなく「思考停止」が関係するものも含まれているのではないか、とyamaは考えています。正しいことを教えようとするあまり、多くの言葉を使って長く説明することは、子どもたちの限界を超えてしまうこともあるのです。

100まで満足に数えられなかったり、85を満足に読めなかったりする子どもに、「十のくらい」や「一のくらい」を一所懸命に教えることは必要なことだとは思います。しかし、教え方によっては逆効果になってしまいかねないこともあると思います。目先の「十のくらい」や「一のくらい」を教えることにばかり気をとられて、その先のこと、論理的思考能力が不可欠である4年生以降の学習を疎かにしてしまったのでは本末転倒であるように、yamaには思えるのです。

ワーキングメモリ

「教え」方によっては、子どもたちの論理的思考能力を削ってしまうだけでなく、他の危険性を含むこともあります。


2枚目の画像をご覧ください。
回答欄に書かれている答え、「95」と「89」は間違いではありません。しかし、設問には「ぜんぶ かきましょう。」とあるので、これだけでは正解ではありません。この様に、「間違ってはいないが、正解ではない。」タイプの誤答を書く子どもたちがいます。このタイプの間違いをする子どもたちは、ワーキングメモリに問題を抱えている場合が少なくありません。
ワーキングメモリとは、問題を解いたり物事を進めたりする際に、必要になる事柄を整理して覚えておく一時的な記憶のことを言います。例えば「2×3」の答えを考えるときには、問題から、①もとの数が「2」であること、②2つめの数(かける数)が「3」であること、③「かけ算」であること、を読み取り整理して覚えておかなければなりません。そしてそれらの記憶を基に計算をして、最後にまた、④答えが「6」であることを覚えておかなければなりません。簡単なたった一つの計算をするために、実は4つもの事柄を覚えておかなければならないのです。ただ、これらは答えてしまったらすぐに忘れてしまってもいい短期的な記憶ですので、長期敵な記憶とは区別して「短期記憶」とか「ワーキングメモリ」などと呼ばれています。
単純な計算問題でさえ、いくつものワーキングメモリを使うのですが、文章題を解くためにはさらに多くのワーキングメモリを使わなければなりません。「計算問題は得意なのに、文章題は苦手」という子どもたちの多くは、文章の読み取りとワーキングメモリの両方に問題を抱えている場合が少なくありません。また、ワーキングメモリは複数の物事を同時に処理(マルチタスク)していくためにも必要不可欠な能力であることも知られています。この能力は幼い頃に使えば使うほど鍛えられ、一度に使えるワーキングメモリの数と量が増えていきます。ある程度の年齢が過ぎるとあまり発達することはないようです。
先ほども問題を解くためには、「一のくらいが5のかず」や「十のくらいが8のかず」をさがすときに、一つだけでなく「ぜんぶ」見つけなければならないことを覚えておかなければなりません。先ほどの画像の子どもはそれを覚えていられなかったのです。
ここで、先ほどの画像をもう一度、ご覧になってみてください。
よく見てみると、設問の中の「すべて」と言う文言に赤線をつけられているのがお解りでしょうか。またそのわきに「10こ」と書かれているのがお解りでしょうか。
実は、これは何度もやり直したあとの画像だったのです。
今から考えれば、一問ずつ問題を分けて教えてやれば良かった、とyamaは反省しているのですが、、、。最初、この子どもは間違ってはいない答えを1こだけ書いて持ってきました。そこで、yamaは「『ぜんぶ』と書いてあるから1こだけじゃないはずだよ。」と言って、「全部」と言う文言に赤線をつけてから、やり直しをさせました。2回目に持ってきたときにはいくつかの答えを書いていましたが、全部ではありませんでした。yamaは「他にもあるよ。全部で10こずつあるはずだよ。もっと探してごらん。」と言って先ほどの赤線のわきに「10こ」と書いて、またやり直しをさせたのです。3回目に持ってきたときの答案は、10こずつ答えが書かれているものの、その中には間違った答えがいくつも入っていました。そこで、「これとこれは『一のくらいが5のかず』じゃないね、これとこれは『十のくらいが8のかず』じゃないよ。」と言いながら、間違った答えをいくつか消しゴムで消してやりました。画像は子どもが4回目に持ってきたときのものです。この子は間違ってはいない答えまで消して持ってきました。始めに持ってきたときと同じ間違いに戻ってしまったのです。この子はなぜ、この様な間違いを繰り返すことになってしまったのでしょうか。
問題文を読み取る力が不足しているから、論理的思考能力が欠けているから、などの理由も考えられますが、yamaはワーキングメモリに関する問題が大きいのではないかと考えています。
以前、クローズドクエスチョンについて少しお話ししたことがある(「計算と算数」)と思います。正しい考え方を教える際に、クローズドクエスチョンを多用すると、早く正解に辿り着くように子どもたちを操ることができます。
2桁の数の左側の数と右側の数を交互に指さしながら、「一のくらいはどっちかな? こっち(左)かな? それともこっち(右)かな?」
いくつかの2桁の数の一のくらいの数を指さしながら、「この数の一の位は5かな? それじゃあ、こっちの数の一の位の数は5かな?」
この様な質問を考え方の順に1つずつ出してやると、子どもたちは容易に正解に辿り着きます。しかしこれでは、子どもたちに考えさせているように見えて考えさせていません。どちらが正しいか選ばせているだけです。選ばせるのも考えさせるのも同じように思えますが、実は大きな違いがあるのです。考えなくても選ぶことはできるからです。さらに、中には、質問する人の態度や表情、声色、質問の出し方などから判断して正解を選び出す子どもたちもいます。年齢が低ければ、むしろその様なことから判断する子どもの方が多いかもしれません。子どもたちは問題文をしっかり読んだり、ちゃんと覚えたりできないのではありません。この様な教えられ方になれてしまったために、しっかり読まなくてもちゃんと覚えなくても正解することができるので、読まなくなっているだけ、覚えなくなっているだけの子どもたちもいるのです。
これではワーキングメモリ論理的思考能力も育つはずがありません。

 

よく学び、よく遊べ

ワーキングメモリと論理的思考能力は切っても切れない関係にあると言えます。ワーキングメモリが足りなければ、論理的な思考などできるはずがないからです。ワーキングメモリも論理的思考力も、どちらも否認知能力と言われる能力です。子どもたちの非認知能力は、遊びなどの自発的な体験を通して発達することが知られています。昔から「よく学び、よく遊べ」などと言われてきました。遊ぶことも子どもたちの学習の役に立っているのです。うまく遊ぶことができる子どもは、学習能力も高いのです。幼い頃から遊びの質と量を豊かにしてやることが、子どもたちの学習能力を伸ばすことにつながることも意識しておいてほしいと思います。

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