ストレス耐性を育てる

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ストレス耐性を育てる

ストレスはけして悪者ではありません

少し前まで、ストレスは悪者だと決めつけられていました。しかしこの頃では、ストレスにもメリットがある事が認められるようになっています。また、ストレスが全くない状態だと却ってデメリットが大きいことが知られるようになってきました。最近になって「教育とは、子どもに適度なストレスを与え続けることだ」と言い切る脳科学者まで現れています。ストレスこそが子どもを成長させる、と言うことなのでしょう。
医学の発展のために用いられている実験動物たちをご存知でしょうか。薬や実験の結果に個体差が出てはいけないので、考えられる限りのストレスを取り除いた環境で育てられています。一年間を通してほぼ一定の気温と湿度に保たれた静かな飼育室で育てられ、いつでも充分なエサと水が与えられます。快適に暮らせる様に、一頭一頭それぞれに広いケージが用意され、ほぼ毎日の様に清掃・消毒済みのケージに交換されます。
こんな状態に育てられた実験動物たちはとてもストレスに弱くなってしまいます。中には、大きな音に驚いて拒食になり、命を落とすものまで出てくるそうです。

 

ストレス耐性

過度なストレスには注意が必要ですが、適度なストレスが様々な機能を高めることが知られています。以前、暑熱馴化のお話をしましたが、暑熱馴化もストレスをうまく利用した熱中症対策でした。子どもたちは無限の可能性を秘めていますが、何もしなければ可能性のままで終わってしまいます。その能力をうまく引き出したり伸ばしたりするためには、実は、ストレスは不可欠なのです。人はストレスを乗り越えることで成長していくのです。子どもたちの生活からストレスを取り除いてしまうことは、子どもたちの成長の機会を取り上げてしまうことにもなりかねないのです。我々大人の役目は、子どもたちからストレスを取り除いてやることではない、とyamaは考えています。我々大人は、自分の力でストレスを乗り越えていくための力、ストレス耐性を子どもたちに持たせてやるべきなのではないでしょうか。
子どもたちにストレス耐性を持たせてやるには、予めストレスに馴れさせてなれさせておくことが大切だと思います。暑熱馴化と同じ考え方です。子どもたちは本来、ストレスを乗り越えていく力を持っているはずです。子どもたちの持つそんな力を信じて、それをうまく使う練習をさせてやるべきなのではないでしょうか。「可愛い子には旅をさせよ」とか、少々大げさ過ぎる様ですが「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」などの諺は、そんなことを教えてくれているのだと思います。脳科学者が「教育とは適度なストレスを与え続けることだ」と言うのもきっと同じことでしょう。成長のためにストレスが必要だからと言って、どんなストレスでも良いと言うわけではありません。「適度なストレス」というところが重要なのでしょう。

 

ストレスコントロール

近頃では、ストレス耐性だけでは足りない、と考えれるようになってきました。耐えるだけではいつかストレスにつぶされてしまうからです。耐えるだけでなく、そのストレスをコントロールしてしまおう、と言うのが、ストレスコントロールの考え方です。ストレスコントロールには、大きく分けると2つの方法があります。

1つ目は、ストレスそのものに対する考え方を変えてしまう方法です。ストレスを乗り越えることで自分が成長できる、ストレスは悪いものではない、などと、ストレスを積極的に受け入れたり、立ち向かたりする前向きな考えを持つことです。
もう一つは、そのストレスそのものをどうやれば解決できるか、を考える方法です。この力は課題解決力とも呼ばれ、社会人として是非身につけたい力の1つです。社会人になれば、自分の力で様々な課題を解決していかなければなりません。一つ々々の課題をストレスと感じ、そこから逃げ出すことばかり考えていたのでは心を病んでしまいます。

どちらの力も、ストレスを恐れず、ストレスと向き合い立ち向かう力です。頭で理解しただけでは、イザと言うときに役に立ちません。ストレスコントロールもやはり、ストレスを経験していなければ身につけることはできないのです。
ストレスコントロールも1つのストレス耐性だと考えることもできるのではないでしょうか。

 

ぶながやっ子ハウスは楽しいところ?

昔も今も親御さんたちは、学校に登校する子どもたちに「いってらっしゃい」と声かけをしてきました。なぜ「いってらっしゃい」と言うのでしょう。
「いってらっしゃい」には「無事に帰って来てね」と言う意味が込められています。どこか遠くに行ってしまう人、二度と会えないであろう人には「いってらっしゃい」とは言いません。言うとするなら、「さようなら」でしょうか。「いってらっしゃい」と言う言葉の裏には、「ひょっとすると、無事には帰って来ないかもしれない」と言う不安や心配が隠れていたのです。
もちろん、通学や下校の途中で事故や事件にあわないで、と言う気持ちも含まれているでしょうが、学校に向かう子どもたちに「いってらっしゃい」と言うのは、けしてそれだけではない様に思います。
もともと「いってらっしゃい」という言葉には、恐らく「頑張ってきてね」と言う気持ちが含まれていたのではないでしょうか。学校はもともと、子どもたちが「頑張るところ」だったのではないでしょうか。けっして「楽しいことばかりのところ」ではなかったのではないか、と思います。もちろん、頑張るうちにいろいろなことが楽しくなることもあるでしょうが、「頑張る」からこそ「楽しい」のであって、無条件に「楽しい」とは限らないのではないでしょうか。

ぶながやっ子ハウスも同じです。けして「楽しい」だけのところではありません。宿題を終わらせなければなりませんから、勉強が嫌いな子どもや、苦手な科目がある子供にとってはけして楽しいことばかりではありません。宿題を頑張らなければ楽しいことができません。けして楽しい事ばかりとは言えないのです。できれば、ぶながやっ子ハウスに共子どもたちには「いってらっしゃい」だけでなく、「頑張ってきてね」の一言を付け加えてあげてください。

そしてまた、yamaは、ぶながやっ子ハウスは家庭より楽しいところになってはいけない、と考えています。極端な言い方をしたならば、ぶながやっ子ハウスの一番の目的は、子どもたちの家庭を子どもたちにとってより楽しく居心地の良い場所にすること、であって、ぶながやっ子ハウスそのものがこどもたちにとって楽しく居心地の良い場所になることではない、と言えるかもしれません。

 

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