子どもは宝物?

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子どもは宝物?

yamaの長男が小学校3年生の頃だったかと思います。

学校の先生から、クラスの全ての保護者に、学校の授業で使いたいので子どもたちにあてて手紙を書いてほしいとの依頼がありました。それを聞いたときは何とも思いませんでした。
しかし、その後、先生からのお便りにを読んでみると、「子どものことを大切に思っていることを書いてほしい、『子どもは宝物だ』と言う旨の言葉を使ってほしい」と、ありました。
yamaは、ちょっと違うな、と感じました。
yamaだって、子どもたちのことは大好きですし、とても大切に思っています。
確かに子宝という言葉はありますが、yamaは自分の子どもたちのことを「宝物」だと思ったことは一度もありません
ですから、yamaは「宝物」という言葉は使わずに長男宛の手紙を書いて持たせました。

 

サリドマイド児の母親の話

yamaが子どもの頃、サリドマイド児に関するテレビのドキュメンタリーを見たことがあります。

サリドマイド児
サリドマイドは今から半世紀以上前に広く使われていた睡眠導入剤薬剤。後に、胎児の四肢に重篤な催奇性を持つことが明らかになった。サリドマイド児とは、サリドマイドによって四肢に異常や障害を持って生まれてきた子どもたちのこと。

登場する子どもは、サリドマイドのために腕がなく、肩から指が指が生えているまだ幼い女の子でした。
yamaが鮮明に覚えているシーンがあります。

パンツ1枚の女の子が床に転がって、一生懸命に服を着ようとしています。
ところが腕がないためになかなかうまく着ることができません。
そのすぐそばで、女の子の母親がその様子を黙ってみているのです。
yamaは始め、なんで手伝ってやらないのだろうと訝り腹が立ちました。
ところが、その後の母親へのインタビューを聞いて、とても考えさせられました。

私が死んだ後もこの子が一人で生きていけるようにしてやるのが私の務めだ。」

yamaはとても衝撃を受けました。
確かに、手を貸してやれば、「服を着る」と言う目標は容易に達成できます。
しかし、それだけでは「子どもを自立させる」と言う目的は達成できなくなってしまうでしょう。

 

海外援助の井戸掘りの話

これまたテレビの話で恐縮ですが、今から10~15年ほど前の番組で、日本の職人が海外に赴いて、井戸や風車、かまどを作ると言う番組がありました。
この番組では、現地の環境に配慮しながら、大がかりな機械などは用いずに日本の伝統技術だけを用い、必要な物資は全て現地で調達すること、になっていました。
毎回、様々な分野の日本の職人が登場しますが、みんなが口を揃えて同じ科白を言っていました。

「日本から物資を運んだり機械を持ってきたりした方が、ずっと早く上等なものが作れる。」
「しかし、我々がいなくなったあと、現地の人たちだけで維持管理できなければ意味がない。」

 

鬼手物心

これはyamaが最も尊敬する先生のお話です。
中学生の頃、国語の授業で「優しさ」について考えさせられました。
細かい話しは忘れてしまいましたが、先生はこんなたとえ話をしてくれました。

目の前に手か足に大けがをした患者がいる。
そのケガは随分酷く、そのままでは患者は命を落としてしまう。
一刻の猶予すらない状況だ。
患者の命を救うには、その手足を切除するしかない
しかし、患者は手足を切除されることを恐れ拒否している
君が「本当に優しい医者」ならどうする?

子育ての目的は「親離れ」

yamaは子育ての目的は「親離れ」、「子どもの自立」だと考えています。
子育てとは、子どもたちの今の姿に振り回されるのではなく、常に子どもたちの将来の姿を思い描きながら子どもたちの成長を促すこと、ではないでしょうか。

もちろん、生まれたばかりの赤ん坊に「自立」を強要することはできません。
しかし、いつまでも赤ん坊扱いしていたのでは、子どもの自立は望めません。

「あなたは宝物だよ」と言う言葉が子どもの自己肯定感を伸ばすことがある、のはyamaもよく知っています。
しかしそれ以上に、そんな言葉だけでは子どもの自己肯定感が伸びないこと、もよく知っています。
近頃では「『子どもは宝物』と考えるのは子どもへの依存に繋がり危険」と警鐘を鳴らす専門家まで現れているのです。

yamaには、子どもたちを「宝物」の様に大切にかわいがり守ることだけが子育てとはけして思えないのです。

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