やる気はどこから?

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「やる気」とは何か

簡単に「やる気」と言いますが、「やる気」とは何でしょうか。
「やる気」のある子どもとない子どもの違いはどこにあるのでしょうか。
「やる気」は待っていれば勝手に育ってくるものなのでしょうか。

yamaは「やる気」は能力の一つだと考えています。
「やる気」のある子どもとない子どもとの違いは、その能力の高さの違いにあると思っています。
成長するにつれて高まる能力もありますが、「やる気」は積極的に伸ばしてやらなければならない能力だと思います。
引きこもりやニート、不登校、などは、この能力が充分に育たなかった結果ではないか、とyamaは考えています。

 

「やる気」は能力

誰でも、好きなこと、やりたいことには、すぐに「やる気」を出すことができます。けれども、それほど好きでもないことや、嫌いなことには「やる気」を出せません。だからと言って全ての物事を好きなこと、やりたいことに変えてやることはできません。
また、誰でも、どうしてもやらざるを得ない状況に追い込まれれば、しぶしぶと嫌でもやり始めます。でも、その様子はけして「やる気」のある状況ではありません。
勉強などのあまり好きでもないことにやる気を出させるには、どうすればよいのでしょうか。色々なことにやる気を出してくれる子どもに育てるには、どうすればよいのでしょうか。

正確に言うなら、「やる気」は気分や気持ちですから能力ではありません。しかし、「『やる気』を出すことができる」ことは能力だ、とyamaは考えています。そう考える方が「やる気」のことを理解しやすく、子どもたちの「やる気」を引き出してやりやすくなると思うからです。
「『やる気』を出すことができる能力」とは回りくどくて言いにくいですので、ここから先は、「やる気」を出す、とか、「やる気」を伸ばす、などの一般的な表現を使いたいと思います。

「やる気」は単純な能力ではありません。様々な特性や能力の影響を受ける総合的な能力です。ですから、子どもたちに、いきなり「やる気」を出させようとしても、それは無理な話です。予め、「やる気」につながる特性や能力を伸ばしておいてやらなければなりません。幼い頃からの準備が必要なのです。
「やる気」を引き出すために最も大切なものは、自己効力感です。自己効力感がなければ、「やる気」は絶対に出てきません。やる気のある子どもに育てたければ、まず自己効力感を育ててやらなければなりません

 

自己効力感

自己肯定感自己効力感はよく似た言葉ですが、その内容、中身は少し違います。
自己肯定感を一言で表すと「その場に『自分がいてもよい』と認める気持ち」となるでしょうか。
自己効力感を一言で表せば「自分なら『やればできる』と信じる気持ち」に近いかもしれません。やればできる、と言う言葉は安易に使うべきではないのですが、、、
自己肯定感を育てるためにも自己効力感は、確かに重要です。
ただ、自己効力感が低すぎるのも問題ですが、高すぎるのも問題です。
その意味では、自己効力感とは、自分の能力をよく知っていること、自分の限界を知っていることとも言えるかもしれません。
また、その様な見方をすれば、自己効力感を伸ばす方法も具体的に見えてくるようになります。

自信過剰は自己効力感を下げる

自己肯定感(自己効力感育てるには成功体験が必要だ、などとよく聞きます。しかし、だからと言って成功体験を積ませるために、簡単なことばかり、できて当たり前のことばかりさせていたのでは自信過剰になってしまいます。自信過剰は自己効力感を失わせたり、ねじ曲げてしまったりする大きな原因の一つですから注意が必要です。

進学塾に勤めだしてまだ日が浅い頃、その頃のyamaにはなかなか理解できない事件がありました。
当時、yamaが担当していたのは中学受験を目指す小学6年生のクラスのうち、比較的成績のよい子どもたちのクラスでした。ディキヤーと呼ばれる様な、公立の小学校のクラスや学年では成績が1番か2番か、と言う子どもたちがたくさんいました。

その中に、4年生頃からその塾に通い始めた、塾のクラスの中ではどちらかと言えば下位の成績の子どもがいました。持ち合わせた能力は高いのですが、いわゆるサボリ癖を持つ子どもでした。塾の宿題をやってこないことも多く、テストの結果も上がったり下がったり、どちらかと言えばジリ貧な感じでした。親御さんは公務員で、どちらかと言えば裕福な家庭で育てられたようです。兄弟にはお姉さんと妹がいたように記憶しています。いわゆる年下の長男だったと思います。
その様な状況でしたので、その子はなかなか第一志望の中学校の合格圏には入れませんでした。調子がよいとボーダーラインぎりぎりほど、普段はボーダーラインの少し下くらいの成績でした。そんな状況を詳しく伝え、夏休み頃からは、見込みが少ない第一志望でなく、合格できるであろう第二志望を受験するように強く勧めていました。もともと第一志望に強くこだわっていたわけでもなかったそうで、親御さんもそれに納得してくれましたし、本人もそのつもりになっていたように記憶しています。それからは宿題も以前よりは頑張るようになり、成績も少しずつ安定していきました。
ところが、受験直前の1ヶ月ほど前に大きく事態が変化してしまったのです。
受験の数週間ほど前に、願書を出すために最後の面談を行いました。yamaは当然、第二志望の学校に願書を出すものと思って準備していました。ところが面談の場で、第一志望の学校を受けると突然言い出したのです。よく聞いてみると、親御さんはどちらでもよい、むしろ、確実に合格できるだろう第二志望の学校を受けてもらいたい、との意向でした。ところが、近頃、本人が強く希望しだしたので第一志望を受験させたい、とのことでした。大急ぎで成績の資料を準備し、やはり第一志望に合格する可能性はとても低いことを説明しました。三者面談でしたので、「可能性なのでゼロではない、しかし合格するためには無理をしてでもかなり頑張らなければならない、最後まで頑張ることができるのか」などと本人にも意志を確かめましたが、本人の気持ちは変わりませんでした。
実は、yamaはこの時に少し違和感を感じていました。
直前の志望校変更というのは子どもにとっては大きな負担です。それも自分から上位校への変更を言い出したとなると、並大抵のことではありません。相当の負担を抱えているはずなのです。子どもにもよりますが、そんな時の子どもたちはまっすぐにyamaの目を見ることが多く、その視線や表情に強い意志や決意を感じるものです。ところが、その時はそれを感じることはできませんでした。どちらかと言えば、少しヘラヘラしている様な印象さえ受けました。
その違和感は日を追うごとに大きくなっていきました。それまで少しは頑張る様子を見せていたのに、受験の直前になってまたサボリ癖が出てきてしまったのです。再び宿題もあまりしてこなくなってしまいました。このままでは、第一志望に合格することは到底できません。yamaはときには叱咤激励しながら、何度も本人に声をかけ続けました。
受験当日になっても本人の様子はほとんど変わりませんでした。さすがに受験当日には、ほとんどの子どもたちは緊張したり焦ったりするものですが、その子どもは余裕をまだ見せていたのです。この子は実は隠れて勉強していたのではないか、受験専門の家庭教師でも雇ったかな、などとまで、yamaは考えていました。その子の行動や様子がyamaには理解できなかったのです。
受験の結果は予想通りでした。当時のyamaには、こんな一見しただけでは矛盾したような行動を、この子がなぜとるのか全く理解できませんでした。
今なら少しは想像できるような気がしています。
その子はもともと標準以上の能力を持っていたのだと思います。その子にとっては学校の授業も簡単なことだったのでしょう。おそらく、ほとんど頑張りもしないでよい成績がとれていたのではないでしょうか。
しかし、塾ではそうもいかなかったのではないでしょうか。それまでは自分が一番だと思っていたのに、塾には自分より成績がよい子どもたちがたくさんいます。学校では席次の発表などありませんが、塾では模擬試験などの度に順位や偏差値が載った成績表が配られます。クラス内の自分の成績を、嫌でも知ることになるのです。自分でもそうとは気づかぬうちに、その子はだんだんと自信を失っていたのではないかと思います。
冷静な大人なら、自信がないなら頑張れば良い、と考えるかもしれません。しかし、みんながみんなそう考えるわけではないのです。

 

やればできる=やらないからできない

やればできる、と言う言葉をyamaは滅多に使いません。この言葉は思わぬ所で人を傷つけたり、ねじ曲げたりすることがあるからです。
やればできる、と人から言われる人は、まだできていない人です。確かに、やればできる、かもしれませんが、まだできていない人、特に自信がない人はこの言葉を聞くと、やってもできないかもしれない、と考えてしまうことがあります。これが問題なのです。このように考えてしまうと、できなかったときのことばかりが気になって、ますますやる気を失ってしまいます。
それどころか場合によっては、やればできるはずなのにまだできていないのは、自分がするべきことをしてないからだ、と自分を責めてしまうこともあるのです。
ですから、yamaはこの言葉をあまり使いたくないのです。励まそうと思って、やればできる、と声をかけているのに効果が出ない場合には、こんなことまで考えてみる必要があると思います。
先程の話に戻ります。
どんな子どもにも自尊心があります。子どもたちは自尊心を傷つけられることを極端に嫌がります。特に、以前は自分が一番だと思っていた子ども、自信過剰だった子どもにとってはなおさらです。
そんな子どもたちにとって、精一杯頑張ったのにできなかった、と言う事実は絶対にあってはならないことなのです。それは自分の能力を否定し自尊心を自ら傷つけてしまう行為だからです。そんな事態を恐れるあまり、わざと頑張らないのです。
本当は自分にはもっと能力がある、合格して当然だ、けれども今の自分は全力ではない、やればできるけれど、やらなかったからできなかっただけだ。
と言う矛盾した考えに陥ってしまって頑張れなくなってしまうのでしょう。ただのごまかしでしかありませんが、自分をごまかしている間は自尊心が傷つきませんから、気持ちが楽なのです。
おそらく、その子もそんな風に自分に言い聞かせて安心していたのではないでしょうか。
こんなことが一度や二度あったくらいでは恐れるに足りません。しかし、こんな行動パターンが身についてしまったら大変です。自信だけはあるのに何も努力しない人間になってしまうかもしれません。
やればできるの裏返しの言葉、やらないからできない、が自分をごまかす言葉に使われてしまうことがあるのです。

 

成功体験より必要なこと

自己効力感を育てるためには、成功体験よりもむしろ失敗体験の方が重要だ、とyamaは考えています。成功体験ばかりを重ねてきた子ども、失敗を体験したことがない子どもは、言わば自信過剰の状態になってしまっているのではないでしょうか。
しかし、失敗体験ならなんでもよい、と言うものではありません。できることなら、何度もやり直してして失敗を克服したり、その失敗を受け入れ乗り越える様な経験をさせてやりたいものだと思います。

 

子どもは失敗を恐れない

子どもたちが生まれたばかりの頃のことを思い出してみてください。哺乳びんからミルクをうまく飲めない子ども、お座りやハイハイが上手でない子ども、色々な子どもがいたはずです。始めからスプーンやフォークを使いこなしてこぼさずに食事できる子どもの話しなど聞いたことがありません。トイレや着替えも同じです。何度も失敗を繰り返して練習して始めて上手にできるようになるのです。
人間の子どもはとても未熟な状態で生まれてきます。子ども一人ではうまく生きていけません。ここまで未熟な状態の子どもを生む動物は他にはいません。人間の子どもは、何度も失敗しながら成長するように運命づけられているのです。人間は失敗を恐れているばかりでは生きてはいけない動物だったのです。ですから、生まれたままの子どもたちは失敗を恐れません。子どもたちが失敗を恐れる様になってしまうのは、周りの大人たちの影響が大きいのです。

たくさんの子どもたちが集まって元気に走り回って遊んでいる様子をご覧になったことはおありでしょうか。走り回って遊んでいるうちに、転んで泣き出してしまう子どももいます。買い物しているときに足下をよく見ずに躓いて転んだり、保管ものに気を取られて何かにぶつかって転んだり。幼い子どもたちは本当によく転ぶものです。実は、子どもたちが転んだときの大人たちの対応が、子どもたちに大きな影響を与えることもある、とyamaは考えています。
子どもたちが転んだときの様子をよく見てみてください。実はほとんどの子どもたちは、転んでもすぐには泣き出していません。多くの子どもは泣き出す前にまず周りを見回して、助けてくれそうな大人を探します。泣き出すのはその後です。先程言ったように。子どもは一人では生きてはいけませんから、これは子どもにとって当然の反応です。
多くの大人たちにとって、目の前で幼い子どもが転ぶことは大事件です。どこかケガでもしていないか、頭をぶつけたりしていないか、などと色々な心配をしてしまいます。子どもに駆け寄り、「大丈夫? ケガしてない? 痛いところはない?」などと聞き出そうとします。これもまた、子どもは一人では生きていけないので仕方ない当然のことです。しかし、その時の大人の表情や仕草、話し方によって子どもに与える影響は大きく変わってしまうでしょう。
子どもを心配するあまり焦ってしまって、ただならぬ表情で駆け寄り、そのままの表情で矢継ぎ早に色々と聞き出そうとする大人も少なくはありません。中には「なんで転んだの?」など、子どもには答えにくい質問をぶつける大人もいます。そんな時の様子をよく見てみると、大人たちの表情も声色も子どもを叱りつけたり怒ったりするときとよく似ていたりします。そんな大人たちの様子が子どもを混乱させてしまうことがあるのです。助けてくれると思っていた大人に責められたら混乱してよけいに泣き叫んだり興奮したりします。そうなると、「どこが痛いのか」などの質問にもうまく答えられなくなってしまいます。
機会があれば、子どもが転んだ直後、泣き出す前に周りの大人を探している子どもと目が合ったらときに、一度、大笑いして笑い飛ばしてやってみてください。子どもの年齢にもよりますが、多くの子どもたちはキョトンとした表情を浮かべるはずです。そこですかさず「転んじゃったかぁ、大丈夫かな?」などと言いながらゆっくりと焦らずに近づいてやってみてください。多少、ぐずることはありますがほとんどの子どもが大泣きまではしません。「どこが痛いの」などの質問にもうまく答えてくれます。
幼い子どもたちは、大人が思っているほどには言葉を理解できていません。相手の表情を見て内容を理解していることの方が多いのです。幼い子どもたちにとって、転んでしまったことは、一つの失敗体験です。そんな体験をしたときの大人の接し方や表情によって、子どもの失敗体験の受け取り方が変わってしまうことがあるのです。失敗を恐れないはずの子どもたちに、失敗することの怖さを教え込んでしまうかもしれないのです。

 

善は急げ

子どもたちの「やる気」を引き出すためには、自己効力感が必要です。自己効力感をバランスよく育てるには、成功体験や失敗体験が必要です。子どもたちは生まれや直後から、成功体験や失敗体験を繰り返しながら成長しています。子どもの「やる気」を引き出してやりたければ、かなり早いうちからそれを意識しておくべきだと思います。その時が来てから焦っても間に合いません。「やる気」スイッチなどありはしません。探すだけ無駄です。

「やる気(モチベーション)」を引き出す要因には外的要因と内的要因があることが知られています。その時が来れば「やる気」をだすだろう、とか、「やる気」スイッチ、などは、外的要因を高めることで「やる気」を出させようとする考え方です。ただし、この考え方にはアンダーマイニング効果と言う落とし穴があることが知られています。本当の「やる気」は、内的要因を高める以外に身につけることはできないのです。そのためには、幼い頃からの子育てや教育が不可欠なのです。

 

続く

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