受援力を育てる

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今から30年ほど前、yamaがまだ若かりし頃、教育や子育てに関わる仕事に就いていた人たちのあいだでちょっとした話題になったことがありました。

 

「暑い」「お腹が空いた」としか言えない子どもたち

それは、「近頃の子どもたちには『暑いから冷房をつけて』とか『お腹が空いたからおやつをちょうだい』などと言える子が減ってきたね。『暑い』とか『お腹が空いた』としか言わない子が増えてきている。」と言うものでした。「暑い」や「お腹が減った」と言うのはそのときに感じたただの感情でしかありません。本来、保護者や大人たちに伝えるべき要望や要求は「冷房をつけて」や「おやつをちょうだい」であるはずです。確かに、「暑い」や「お腹が減った」と言う困り感が理由や原因ではあるのですが、それだけでは、どうしてほしいのか、何がほしいのか、などはけして伝わりません。当時は、「このままでは、子どもたちの国語力(表現力)がどんどん低下してしまう。」などと、学習面からの心配が中心でした。あれから30年ほど経った今、事態はさらに深刻になっている様にyamaは感じています。今では「暑いから冷房をつけて」とか「お腹が空いたからおやつをちょうだい」と言える子どもの方が圧倒的に少なくなりました。ほとんどの子どもが「暑い」や「お腹が減った」としか言えなくなっています。

「助けてください」と言えない大人たち

近頃、福祉関係の仕事に就いている人たちのあいだで時々話題となることがあります。それは、「どう見ても困っているはずなのに支援を求めてこない人たちがいる。なぜ支援を求めてこないのか。」と言うものです。いわゆる受援力が足りない人たちのことです。

受援力 困ったときに適切な相手に適切な方法で助けを求める力

yamaには、「暑い」「お腹が空いた」としか言えない子どもたちと「助けてください」と言えない大人たちがとても似ているように思えるのです。

20年ほど前に、「KY」などと言うことばが流行したことを覚えている方も少なくないのではないでしょうか。「KY」とは「空気が読めない」と言うことばのローマ字表記「Kuukiga Yomenai」の略です。「空気が読めない」とは、その場の雰囲気を汲み取れない相手の気持ちを推し量れない、などの意味を指します。もともと日本では、全てを言い表さないで奥ゆかしい婉曲な表現を良しとしてきました。そのため、日本にはことばの裏に隠れた相手の本当の気持ちや要望を推し量るということを大切にする習慣があります。そして、それはそのまま、自分の要望や要求の全てを語らず相手に汲み取ってもらうことに期待することでもあります。そんな習慣が「KY」などと言うことばを生み出したのだろうとは思います。しかし「KY」と言う言葉の裏には、「言わなくてもわかってくれるのが当然だ」と言う考えが見え隠れしているようにyamaは感じます。

幼い頃から「暑い」とか「お腹が空いた」などの不平や不満を口にするだけで、周りの大人たちが先回りして子どもの要望や要求を満たし続けるとどんなことが起こるでしょうか。
我々、人間も動物です。動物は無駄な努力をしようとはしません。楽に欲求を満たす方法があれば、その方法ばかりを繰り返すようになります。無駄なエネルギーを使わずに温存した方が生き残る確率が増えるからです。それは動物の本能だと言えるでしょう。そして、そのことは人間についても同じことが言えるのです。とくに幼い子どもたちについては、その傾向が強いように思います。
不平や不満を口にするだけで、要望や要求を満たし続けると、子どもたちはその要望や要求を口に出さなくなってしまいます。そんな状況が長く続くと、子どもたちは口に出さなくても周りが要望や要求を叶えてくれるのが当たり前だと勘違いするようになってしまいます。「KY」と言う言葉が流行りだしたのは、そんな子どもたちの方が多くなったからだろう、とyamaは考えています。

 

他人に迷惑をかけてはいけない

以前はよく、子どもたちに「他人に迷惑をかけるようなことをするな」などと言ったものです。近頃ではあまり聞かなくなったように思います。それどころか、「他人に迷惑をかけてもいいんだよ」などと教えることが増えている様に感じます。
もし、口に出さなくても周りが要望や要求を叶えてくれるのが当たり前だと勘違いするような子どもたちが、「他人に迷惑をかけるな」と教えられたらどうなるでしょうか。ただでさえ、要望や要求を口に出さないのに、ますます自分の要望や欲求を言えなくなってしまうのではないでしょうか。
直接、口に出して言わなくても周りが叶えてくれるから、要望や要求を口に出さなくなる。その上で「他人に迷惑をかけてはいけない」と教えられると、口に出せなくなってしまうのではないでしょうか。そ「他人に迷惑をかけるようなことをするな」と言わなくなったのは、そんな理由からだろうと思います。

yamaは、「暑い」「お腹が空いた」としか言えない子どもたちは、やがて「助けてください」と言えない大人たちになってしまう恐れが大きいのではないか、と考えています。以前、サリドマイド児のお話を書いたことがあります。その中の母親の言葉は、今でもyamaの心の中に残っています。
「私が死んだ後もこの子が一人で生きていけるようにしてやるのが私の務めだ。」
確かに、目の前の子どもの言葉の裏にある本当の気持ちを読み取って、要望を叶えてやることは良いことのようにも思えます。ただ、今のことだけを見て、将来のことを忘れてしまってはならないのではないか、とyamaは考えるのです。

ですから、子どもたちが「暑い」「お腹が空いた」などと言いだしたら、yamaはいつもこんな風に答えることにしています。

子:「暑い」
yama:「ふーん」
子:「暑い」
yama:「それでどうしたの?」
子:「???」

子:「お腹空いた」
yama:「そうだね」
子:「お腹空いた」
yama:「だから何?」
子:「...」

ほとんどの子どもは、同じことを二回ほど言ってもyamaが何もしてくれないとわかると怪訝そうな顔をします。さすがのyamaも最後には助け船を出してやります。

yama:「暑いからどうしてほしいの?」
yama:「お腹が空いたから何をしたいの?」

こんなことをやっているうちに、中には「いじわる」などと言い出す子どもたちもいます。それでもyamaはこんなことをやめないのです。

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