子育てや教育に必要なもの

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子育てや教育に必要なもの

こんな仕事をしていると、様々な子どもたちと接する機会があります。様々な子どもたちと接しているうちに、子育てや教育について嫌でもいろいろ考えさせられます。yamaがよく考えていたことの一つに、子育てや教育にとってもっとも必要なもの、不可欠なものってなんだろう、と言う疑問がありました。

 

保護者と言う言葉

yamaは保護者という言葉が嫌いです。他に適当な言葉が見つからないので、仕方なく使ってはいますが、、、

保護者
特定の個人に対して、個別の法律に基づいて、保護を行う義務がある者のこと

実は、保護者とは、法律や制度のために生まれた言葉で、自分の意思にかかわらず「保護」しなければならない立場の人のことなのです。近頃は様々な事情のために、「お父さん」や「お母さん」、「ご両親」、「親御さん」などの言葉が使いにくくなってしまっていますので、これらの言葉の代わりに「保護者」という言葉が使われるになりました。しかし、もともと「保護者」という言葉には、「親」とか「育てる」などの意味はないのです。
先にも述べたように、私は保護者と言う言葉が嫌いです。なぜなら、「保護者」と言う言葉の中には、子育てや教育と言う観点が抜け落ちてしまっているからです。「保護者」と言う言葉だけを使っていると、「保護さえしてればそれでいい」とか「何が何でも保護しなければならない」などの偏った考え方が広がってしまう様に思うからです。言霊(ことだま)などと言う言葉もあるように、どんな言葉を使うのかはとても大切なことなのです。(偏った考えは既に広まり始めているようにも感じていますが、、、)

保護
弱いものを、外部の危険などから守ること

さて、ここで是非考えてほしいことがあります。
子ども、とはどんな存在なのでしょうか。
子ども=弱いものなのでしょうか。
子どもは保護してやらねばならない存在、子どもは保護されねばならない存在なのでしょうか。

 

子どもとは、おとなの役目とは

子どもはただの弱い存在ではありません。子どもは、色々な意味での強さを身につけよう(様々な能力を発達させよう)とする存在です。少なくとも、いつまでも弱いままでいる存在では、けしてありません。なぜなら、子どもたちは、強くならなければ生き抜いていけないことを、生まれながらに、本能として、知っているからです。人間だって動物です。幼い子どもたちが本能に逆らえるはずがありません。強くなろうとする子どもに強くなるための環境を整え(教育)、まだ充分に強くなれていない所を支えてやる(保護)こと、それこそが、子育ての本質だろうと思います。子育ては教育と保護のバランスの上に成り立っていると思います。どちらか一方に偏ってしまったのでは、けして健全とは言えないのではないでしょうか。

子どもの権利条約(「児童の権利に関する条約」)でも、子どもはただ保護されるだけの存在ではない、と考えられています。子どもの権利条約の4つの原則のうちの一つめは、「子どもは命を守られ成長できる権利」です。ここでも、子どもはただ「守られている」だけとは考えられてはいません。子どもたちには、持って生まれた能力を十分に伸ばして成長する権利、があると考えられているのです。

子どもは、自分の持つ様々な能力を伸ばそうとしています。おとなは、子どもたちがそんな能力を充分に発達させることができる環境を調え、同時に、能力が発達するまでの間、子どもたちがひとり立ちできる様になるまで見守ってやらなければならないのだと思います。子育ては保護だけではないのです。

yamaがまだ塾の講師をしていた頃、親御さんたちから、勉強に限らず子育てに関わる様々な相談を受けつけていました。三者面談や父母懇談会では、勉強や成績の話より子育てに関する話の方が多かったかもしれません。
そんな中で、いつからか、ご父母との面談などの際にyamaがよく尋ねる様になった質問があります。

 

どんな子どもに育てたいですか

この質問にすぐに答えることができる親御さんはそれほど多くはありませんでした。
難関中学や高校を目指す子どもたちが多い塾でしたから、ほとんどの親御さんは、子どもたちを志望校に合格させることを目標にしていました。でもそれは、その時の目標、塾に通わせる目的、ではあっても、「どんな子どもに育てたいか」の答えには、けしてふさわしくはありません。
多くの方から、あれこれお話ししたり、しばらく考え込んだりした後、「子どもには幸せになってもらいたい」などと言った答えが返ってきました。でも実は、これもまだ、ふさわしい答えにはなっていません。「子どもにどうなってほしいですか」と「どんな子どもに育てたいですか」と、少し似ている様にも思えますが、内容や意味が異なる質問なのです。

 

「幸せの形」

「幸せ」になることは、けして難しいことではありません。誰でも簡単に「幸せ」になることはできます。
ただし、その前に考えておかなければならないことがあります。それは、自分にとっての「幸せ」とは、どんなものか、どんな状態か、をできるだけ具体的にはっきりさせておくことです。言いかえれば、自分にとっての「幸せの形」をはっきりと見つけておくことです。それができていなければ、けして「幸せ」にはなれません。
すべての行動は目標や目的がなければ、うまく進みません。長い目で見ると、どこかで矛盾を生じたりしてしまいます。人の意見に左右されたり、迷ったり悩んだりして、不安に押しつぶされてしまうことにもなりかねません。「幸せ」になりたければ、まず「幸せの形」、と言う目標をしっかりと決めておくべきだと思います。それが具体的であればあるほど、実現するために必要なことや手段が明確になります。子育てでも同じではないでしょうか。子どもたちが「幸せになってほしい」と思うのなら、子どもたちにとっての「幸せの形」についてまず考えてやるべきではないでしょうか。そしてそのために、「どんな子どもに育てたいか」と言う明確な目標も持っておくべきだと思います。

 

理想や目標

理想や目標を持つことは大切です。具体的な理想や目標を持てば、今するべきことや、今するべきでないことなどがわかりやすくなります。あれこれ迷ったり、漠然としたことに不安を感じることが少なくなります。それだけでも悩みが減り、気持ちが軽く明るくなるものです。そんな状態で過ごせること自体も、「幸せの形」の一つなのかもしれません。
yamaは、子育てにも同じことが言えると考えています。子育てを楽しめず、あれこれ不安を抱えている方の多くは、具体的な子育ての理想や目標、「どんな子どもに育てたいか」と言う問題に向き合っていない方が多いのではないでしょうか。具体的な理想や目標を持たないために、失敗を恐れるだけになってしまって、いつも漠然とした不安にとらわれているのではないでしょうか。そんな気持ちは、様々な形で、子どもに必ず伝わります。そして、それが伝わることは、子どもたちにとって、けして良い影響を与えるとは思えません。
子育てや教育に必要なもの、やはりそれは、具体的な理想や目標だと思います。それがなければ、子育てや教育も成り立たないのではないでしょうか。

 

子どもの幸せ

子どもに「幸せ」になってほしいのなら、その子どもの「幸せの形」を考えるべきです。しかし、その「幸せの形」は誰が考えるべきなのでしょうか。
「幸せの形」は本来、自分で考えるべきものです。自分で考え、自分で見つけるからこそ意味があるのです。例え、それが親であったとしても、他の人間から押しつけられた「幸せの形」をすんなりと受け容れることは難しいからです。子育てや教育とは、おとなが考えた「幸せの形」を子どもに押しつけることではありません。
yamaは、子育てや教育の理想とは、「自分で『幸せの形』を見つけたり作ったりすることができる子どもたちを育てること」だと考えています。ですから、yamaにとって、子育てや教育の目標は、「子どもたちが自分自身の手で『幸せの形』を探すために必要な能力や特性を育てたり、『幸せの形』には様々なものがあることを教えたりすること」だと考えています。

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